自分基準

Diary

間違って

 

普段使ってるブラウザ(スレイプニル)をアンインストールしてしまった...

 

せっかく整理したお気に入りやら、RSSが...

 

毎回バージョンアップするごとに入れなおしているのに、なんだってコントロールパネルの中の名前が変わってないんだ...

 

旧バージョンがそのままなのかと思っちまうじゃないか...

 

なんでかインターフェースも元に戻らないし...

 

※インストールし直しから5時間、RSSの入れなおしまで作業完了
結局徹夜で復旧♪

 

朝の轟音

今朝の5:30頃、エライ音が外から聞こえてくる。ゴゴゴゴゴ...というまさに轟音。なんだったんだろう?


誰か知ってる方~、情報求む!

久しぶりの投稿。

ども、久しぶりの投稿となりました。


なんとなく忙しくて書くのが億劫になっていた今日この頃、皆さんいかがお過ごしだったでしょうか?じぶんはいつも通り、それなりに元気です。


最後に大学祭イベントの紹介をして以来、1ヶ月も間が空きました。忙しかったというのは、もちろん大学祭のイベント内容を詰めるのもありましたが、30日を過ぎた後にそんなことをしていたわけはなく、ほとんどがゲーム三昧でありました。


学祭前の忙しい時期にドラクエⅦにはまり、今は友人から半年近く借りてようやくやり始めた続編をやっています。


ゲームに疲れたときに、空手部のホームページを作ったり、イベント用に名刺を作ったりと、創作活動にいそしむ毎日です。


 


※以上の記事は、ちょいとフィクションです


 


というわけで、これから記事を書くのを再開しようと思います。
まめに見ていただいていた皆様、どうか戻ってきたくださいませ。


それと、記事を書くような意欲を軽く出していただいた某インテリアショップ店長様に、感謝申し上げます。


とりあえず、昨日買ったおもちゃのことでも書こうと思う、今日この頃なのでした。

天気結果

毎日が、というかいつでも、seven days a week、24 hours a dayが、


2005年10月19日水曜日(日本時間)の、


最高気温、最低気温、湿度、天気、日照時間だったらいいのに。


と思うくらい、今日はいい天気でした。

僕の好きな先生~♪

小学校からの友人がブログで、亡くなったピアノの先生のことを書いていた。


自分も一昨年、浪人中にピアノの先生を亡くしていたので、似た境遇のやつが身近にいるものだと思った。


ピアノを習っていたのは、3歳ぐらいから小学6年の中ごろまで。


その先生はお袋が経営していた薬局でパートをしていて、わしのことをお袋並み、とりあえずわし以上に子供の頃のわし自身を知っていたと思う。


3歳から小学校入る辺りまでは素直にピアノを習っていて、発表会なんかにも出ていたり。ただ小学校に入って、友達ができて、そいつらと遊ぶようになるとピアノを含めた習い事すべてが嫌になって、よくさぼったりなんかしてました。


ただウチで働いてるから、逃げ場もなくしょっちゅう説教をくらったり。


それ以外にも、反抗期なりに親に反抗したときも、その先生から説教されていた。実の母親は普通に育ての親なんだが、育ての親がもう一人いる感じと、今なら思う。


 


 


今考えてみると、一番の思い出というのが無い。


それくらい当たり前の存在だった。いつでもお袋や、一緒に働いていた人たちと笑っていて、わしの成長を見守るというか、後見していただいてるというか。何の意識もしていなかった。


亡くなる何ヶ月か前に、旦那さんと一緒にコーヒーショップを開いて、アクティブな人だな~って、関心していた。


 


それだけに、報せを聞いたときのショックは大きかった。


正確には、報せを聞いたときはわからなかった。


それまで、祖父や祖母の死を受け止めたことはある。けど、身近にいない、特別な人の死と受け取っていた気がする。


身近な人が亡くなったとき、どう受け止めていいかわからなかった。


実際、その先生の顔を見るまで実感はあまりなかった。


先生の顔は、いつもと同じ顔で、綺麗にお化粧がしてあって、なにも変わっていなかった。でも、


わしの話はここまで。


 


浪人生だったわしは通夜には行けなかったけど、葬式と告別式には行くことができた。


その告別式で印象的だったのは、先生の姪っ子のことだった。告別式のとき、涙を見せず、終始キョトンとしていた。多分小学校中学年ぐらいだと思う。


出棺のとき、その子が急に大きな声で泣きじゃくり、わめきだした。「嫌だ嫌だ」と。


多分その子も、わしと同じ気持ちだったんだと思う。


 


 


友人が最後に書いていたことを踏まえて、自分も書いてみる。


わしはその先生が亡くなったことが未だに信じられない。もちろん受け入れてはいるし、もう一緒に笑って飲むようなこともない。


でも、実感がない。その人がいないということの。


亡くなった人は心の中で生き続ける、とよく言われる。


わしが感じるこの感覚って、そういうことなんだと思う。