小学校からの友人がブログで、亡くなったピアノの先生のことを書いていた。
自分も一昨年、浪人中にピアノの先生を亡くしていたので、似た境遇のやつが身近にいるものだと思った。
ピアノを習っていたのは、3歳ぐらいから小学6年の中ごろまで。
その先生はお袋が経営していた薬局でパートをしていて、わしのことをお袋並み、とりあえずわし以上に子供の頃のわし自身を知っていたと思う。
3歳から小学校入る辺りまでは素直にピアノを習っていて、発表会なんかにも出ていたり。ただ小学校に入って、友達ができて、そいつらと遊ぶようになるとピアノを含めた習い事すべてが嫌になって、よくさぼったりなんかしてました。
ただウチで働いてるから、逃げ場もなくしょっちゅう説教をくらったり。
それ以外にも、反抗期なりに親に反抗したときも、その先生から説教されていた。実の母親は普通に育ての親なんだが、育ての親がもう一人いる感じと、今なら思う。
今考えてみると、一番の思い出というのが無い。
それくらい当たり前の存在だった。いつでもお袋や、一緒に働いていた人たちと笑っていて、わしの成長を見守るというか、後見していただいてるというか。何の意識もしていなかった。
亡くなる何ヶ月か前に、旦那さんと一緒にコーヒーショップを開いて、アクティブな人だな~って、関心していた。
それだけに、報せを聞いたときのショックは大きかった。
正確には、報せを聞いたときはわからなかった。
それまで、祖父や祖母の死を受け止めたことはある。けど、身近にいない、特別な人の死と受け取っていた気がする。
身近な人が亡くなったとき、どう受け止めていいかわからなかった。
実際、その先生の顔を見るまで実感はあまりなかった。
先生の顔は、いつもと同じ顔で、綺麗にお化粧がしてあって、なにも変わっていなかった。でも、
わしの話はここまで。
浪人生だったわしは通夜には行けなかったけど、葬式と告別式には行くことができた。
その告別式で印象的だったのは、先生の姪っ子のことだった。告別式のとき、涙を見せず、終始キョトンとしていた。多分小学校中学年ぐらいだと思う。
出棺のとき、その子が急に大きな声で泣きじゃくり、わめきだした。「嫌だ嫌だ」と。
多分その子も、わしと同じ気持ちだったんだと思う。
友人が最後に書いていたことを踏まえて、自分も書いてみる。
わしはその先生が亡くなったことが未だに信じられない。もちろん受け入れてはいるし、もう一緒に笑って飲むようなこともない。
でも、実感がない。その人がいないということの。
亡くなった人は心の中で生き続ける、とよく言われる。
わしが感じるこの感覚って、そういうことなんだと思う。